《鉄町の語源・由来・沿革》
鉄町の語源・由来
歴史・民俗学者の金子勤先生から、"「麻生物語」とカッパ伝説"という先生が最近講演された時の資料を先生から頂きました。
この中の一説に鉄町の語源と図が描かれている。その内容を抜粋すると、
くろがねの初見は、戦国時代・秀吉神奈川県の小田原城攻めの時、書状が既出
小島佐渡守(川崎市麻生区の元川崎市市議会議長 小島一也が二十二
代目の子孫に当たる)の家にあり、黒金と書かれている。
江戸時代初めに、くろがねは 鉄(てつ)だと言って鐵という字を書いた。
鉄の字は略字で金(かね)を失(うしなう)と書くので縁起が悪い。と言って
当地では金へんに矢(や)という字を書いて、くろがねと読むよう強いられた。
鉄(くろがね)の語源は黒金・畔曲(くろがね)で、畔道(あぜみち)が曲がっているという
意味で鉄(てつ)とは関係がない。と書かれている。
鉄(てつ)は曲がっているという意味があるので、畔道が直角に曲がっている
所から 畔曲(くろがね)=鉄(くろがね)になりました。
鉄村の概略図
沿革
*1868年(慶応4年) 廃藩置県により 神奈川府を設置 神奈川府都筑郡鉄村になる。*1868年(明治元年) 神奈川府が 神奈川県になる 神奈川県都筑郡鉄村になる。
*1889年(明治22年) 都筑郡中里村大字鉄となる
*1939年(昭和14年) 横浜市に編入し、 横浜市港北区鉄町となる。
*1969年(昭和44年) 横浜市緑区鉄町になる
*1994年(平成6年) 横浜市青葉区鉄町になる。
「かいと」とは、
中世から現代にいたるまで近代人は谷戸(かいと)によって培い養われてきた。いわばかいとは、母なる川と父なる背中である。然し、I Tの文化の波に置き去られ
忘れられつつある。バス停や道路信号の下などに、しょんぼり見られるだけとなった。
東京世田谷区では、往古、世田谷(せたかい)と言ったので、「せたかい」という
郷土史も出している。現代、屋号などで、かいと(けいと)、小がいと(こげえと)
などと言われて、村人、町民に親しまれている。群馬県では谷戸(やと)・谷津(やつ)・
谷戸(かいと)の三本立てである。
かいとの漢字を挙げてみると三、四十あり当て字である。こう言う字だから、こういう歴史
があるというのはナンセンスな感じがする。中世の防御の垣内は例外。
1.谷戸(かいと) 5.垣内 9.開内
2.大谷戸(オーガイト)(オーゲェト) 6.垣外 10.海渡
3、峡戸 7.界戸
4.垣戸 8.皆戸
(かいとは30以上ありますが以下は省略しました。)
関東地方シリーズ1 「神奈川県の地名」より抜粋